私は映画が大好きです。映画は私の心を揺さぶります。子どものころから本を読むのは苦手でしたが、何かを創造するのは得意でした。絵を描くことに夢中になれました。でも、映画を見て考えると、冷静になれました。
最初に映画を見たのは、父が映画好きだったからです。私もよく一緒に見ていました。そのころはまだ商業映画しか見ていませんでした。でも、絵をどんどん描いたり、動画をどんどん作ったりするうちに、センスがどんどん磨かれていきました。高校生になってからは、文芸映画や映画祭で賞をとったような作品を見るようになりました。私の映画に対する理解は、見る映画の幅が広がっていくにつれて、自分でも短編映画を作るようになっていくにつれて、ここ数年で形成されてきたと思います。私は観客の目だけでなく、作り手の目でも映画を見るようになりました。
作り手の目で映画を見ると、不思議な気持ちになることがあります。一方で、嫌いな映画を見ても仕方ないと思います。作り手が伝えたいことが伝わらないこともあります。一方で、みんなが好きな映画は、私にとっては微妙な手法を使っていると感じます。とにかく、映画を見ると、作り手がこの映画を愛しているかどうかが、よくわかります。でも、それは私が映画を見ることを不純にしてしまって、私はいつも全身全霊で映画に没入できないことになります。これは私がいつも残念に思うことで、私が失ったものだと思います。
私が冷静になるのは、優れた映画は一面的なものではなく、個人的なものでもないからです。時間や歴史や人々が凝縮されています。私は客観的に物事を見るようになりました。自分の感情にとらわれないで、感情に支配されないで物事を見ます。私もアニメやゲームが好きですが、そういうものに夢中になると、中二病になってしまいます。だから、映画を見て心を落ち着かせたり、気分を切り替えたりする必要があります。
映画は総合芸術です。それが私の好きな理由の一つです。でも、それ以上に、映画は時間の芸術です。映画を見ていると、その瞬間に時間が止まってしまったような感覚になります。不思議です。
私はアメリカのハリウッド映画も大好きですが、芸術としての価値はそれほど高くないと思います。商品のようなものです。だから、私はヨーロッパの監督の作品が好きです。特にバーグマンが大好きです。彼は巨匠の中の巨匠です。彼の映画は家族関係や宗教的な意味や自己反省を含んでいます。彼の映画はとても難解ですが、でも、私がもう一度彼の映画を見るたびに、新しい発見があります。そして、彼の映画はいつも私に共鳴を与えてくれます。
私も日本の映画が好きです。多くの人は日本の映画が文芸的すぎて、意味がわからないと言います。でも、私はもっと多くの日本映画が、ある状況を表現していると思います。それは、ある視点を押し付けるのではなく、ある社会状況の中での人間の反応を描いています。このような人間性は、私はとても魅力的です。もし監督が自分の考えを押し付けるなら、彼は傲慢です。私たちに必要なのは、自分の生活を反省することです。私は浜口竜介という日本の監督の映画が好きです。彼の映画はセリフが多くて、生活の微妙な感情がセリフの中に少しずつ現れます。言葉の表面的な意味は真実ではないかもしれませんが、私たちが対話を続ける中で、真実もだんだん見えてきます。
私は映画が大好きですし、映画に感謝しています。一人で作ったものではなく、いろいろな人や友達と出会えたからです。これは他の専門にはない特徴だと思います。でも、同時にそれは私を苦しめます。一人ではできないという無力感を強く感じます。でも、私は学び続けることを選びました。私の友達はよく私をからかいます。私は先が行き止まりになるかもしれないと知っていても、やめられない人だと言います。でも、私はこの道がまだ進める限り、行き止まりではないと思っています。
私の両親は私に「日本がそんなに好きなら、観光客として日本に行けばいいのに、なぜ日本で勉強したいのか」と言いました。私は自分にもこの問題を何度も問いかけました。以前の私の答えは、自分を知らない土地で何かを続けて学ぶことに、逃避の気持ちがあったのかもしれません。もちろん今もその理由の一つですが、努力を重ねて、葛藤していくうちに、私の映画への愛は、どんどん純粋になっていきました。
これから映画関係の仕事をするかどうかは自分でもわかりません。映画の好きさを続けていけるかどうかもわかりません。でも、今は映画に感謝しています。辛いことがたくさんあっても、挑戦していきたたいと思っています。
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